今日は、たまたまなのですが、レビー介護10年という方の生の声を
聞く事ができました。
残念ながら直接お話することは叶わなかったのですが、
もし、私たちとおしゃべりしていたら、どんなに気持ちが違ったか
と思わないでもありませんでした。
もちろんその方も乗り越えられて今を大事にしていらっしゃいます。
人がたくさんいるように、家族会もたくさんあり、
それぞれの波長にあった場所にいくわけですが、
いろんな家族会のなかに埋もれているレビーの家族の
方々が、レビー家族同士のお話で、今までのモヤモヤが払拭されると
いうのを私は実感しているので、
「大変ね、恐いわね」と慰められるだけの状態はすこし
残念だと感じています。
レビーだからと言って、悲劇に終わるわけではない、
正しく理解し、ポイントをついて、判断することで生活は
楽しくできるのです。
要介護5でも生活は「寝たきり」ではないんです。
「寝たきり」になったから、「わからない人」ではないんです。
ところが、レビーはですね、理解してもらえない。
今日もそうでしたが、
「恐いのね」
「寝たきりになっちゃうのね」
という声がちらほら聞こえてきました。
そうじゃない、と声を大にして言いたいんですが。。。
話は変わりますが、最近「当事者」という言葉が大流行りです。
「認知症当事者」です。
私はこの言葉がきらいなので、「ご本人」と言いますが、
何を言いたいかというと、
巷は「当事者」探しでにぎわっているわけです。
今日も仲間内で、「なんだ、お宅にも問い合わせあったのね」と。
「当事者に世間に出ていただいて、認知症をみんなで理解しましょう」と
いうのはわかるのですが、、
介護家族会としては、なんとも切ないところがあります。
特にレビー小体型認知症は活字になったり、映像にでると、誤解を生みやすい。
だって、恐いと感じるじゃないですか。
わけのわからない幻視が出て、パーキンソニズムで動けなくなり、
適切な医療がなければ、または間違った医療で、
あっという間に死んでしまう、そんな話。
そして、
レビーの人は、きちんと自分があるんですよ、分かってますよと
言っても取材は1回限り。
何回も何回も足を運んで、もしくは24時間、48時間カメラ
まわしっぱなしでもいいから、ちゃんと理解してほしい。。
理想ではありますが。。
「レビー小体型認知症」の説明は小阪先生が登場することが多く、
もちろん当然ですが、取材側はこれで安心と思い込んでいるわけです。
だけどですね、
客観的である分、症状がこれしかないと、捉える方も多くなります。
そして、医師は24時間、一緒に生活しているわけではないですから、
「レビーのホント」は伝えられないかもしれません。
メディアの方々にほんとうにお願いしたい。
希望があるのに、希望が見えない伝え方だけはしてほしくないのです。
私が今現役だったら、きっと父と一緒にレビー周知に頑張ったろうなあと
遠い目になりながら、いろいろ考えちゃいました。
そして、私たち「レビー介護家族おしゃべり会」は
家族からの声を発信して、しっかり「レビー小体型認知症」を伝えていかなくてはいけないと思いました。
お近くにレビーの家族がいたら、ぜひ教えてあげてください。
一度でもいいので、レビー家族同士、話してみませんか、って。
そして、いつもの家族会に戻ったら、レビーのことをみなさんに
伝えてほしいんです。
そうやって、家族で、レビーを広めてもらいたいと思います。
by boss