母(S3年生。84才) 介護者:母と2人暮らしの次女(私)
糖尿病、脊柱管狭窄症の持病。以前から様々な薬への強い副作用があった。
<2009年> 要介護1
母との会話に違和感、理解力の低下を感じ始める。すり足歩き始まる。
<2010年> 秋からうつ状態に。
「何もしたくない」と着替えず、食事をしない時がある。新聞も読まなくなる。
<2011年> レビー小体型認知症と診断。要介護2。
大震災後一気に混乱。「娘が私の悪口を言いふらす」等の被害妄想が始まる。
かかりつけ医にアルツハイマー型と診断され、自信を失いひどく落ち込む。
アリセプトで激しい嘔吐下痢。0.3mgまで減らしても寝込んだ。
むせも始まったが、サプリメントで改善した。
妄想がひどいので精神科に行き、レビー小体型認知症の疑いがあると言われる。
日本刀を持つ幽霊の幻視に常に怯え、妄想も悪化し、常に不機嫌だった。
「車に誰か乗っている。出て行って!」と車の窓を叩くこともあった。
いったい母はどうなってしまったのかと、私は、途方に暮れていた。
遠方の病院まで行き、レビー小体型認知症と診断される。
その後は、そこで紹介された地元の病院に通院する。
様々な認知症薬をどれほど微量にしても(5日に1度飲む。細かく切って10分貼る等)食欲喪失の副作用に苦しむ。
漢方薬も下痢等で使えず、効果があったのは、ニコリン注射のみだった。
脅迫の幻聴で裸足で飛び出し警察に保護される。(別種サプリメントの影響)
あらゆる努力をした結果がこれかと思うと無力感、絶望感に打ちひしがれた。
デイサービスを開始。
<2012年> 認知症薬を止める
副作用のため一切の認知症薬を止める。
効果は特に感じていなかった。
しかし止めると会話が難しくなり、身の回りのことが色々できなくなった。
<2013年> 感謝
浴室で抵抗し転倒。肋軟骨にひびが入り、足が衰えた。
母への申し訳なさ、情けなさ、将来への不安で胸が潰れる思いだった。
普段はトンチンカンな言葉が多いが、普通に会話できる時も労りの言葉もある。
朝5時から「死ね!」等と独り言を言い続けていたが、新サプリメントで激減。
ショートステイや入浴サービスは、被害妄想が強いため利用できず、私は、十分な睡眠が取れる日が1日もない。
それでもデイサービスを毎日利用しながら仕事を続けている。
勤務先は、残業免除など理解が深く、近所の人も見守りをしてくれる。
幸い、認知症の相談ができる知人友人も身近に。家族会でも友人ができた。
介護職員、病院の職員、ケアマネも信頼でき、精神的に支えてもらっている。
母のお陰で素晴らしい人達と出会えたことに、心から感謝している。
多くの方のお陰で介護と仕事の両立をしながら、今日も踏ん張り続けている。